ゲーム大好き
今朝もパチッと目が覚めてヤル気バンバンでハイテンションな私です。ワンちゃんを散歩させてから、朝食をとります。私は朝は味噌汁とご飯がないとダメな人で、ナメコの味噌汁と胡瓜とカブの糠漬けにしました。出勤するまえにちょっとティータイム、ニュースなどを見ながら外出の準備をします。
今日はちょっと自転車にトライしてみました、普段運動していない私にとっては丁度いいエクササイズのようになりました。ここのところ少し暇になってきましたが次の企画を何とか絞り出さないといけないので大変です。今日もなんだかんだで終業時間、かなりお疲れ様状態。今日は何か元気の出るドリンクなんか飲んで早々に帰宅しました。
帰宅したら、まずは米をといでから炊飯器のスイッチをオンにしてニュースなんかをみておこうかな。食事の支度って駄目ですね慣れてないと何をどうしたらいいのかな?っていうか調理する道具が揃ってないので大変です。お料理するよりも今では割と簡単にレンジでチンという感じで美味しいものができてしまうのはありがたいです。
さて趣味のゲームです。やはり仕事の後のゲームがなければ1日が終わりません。副業みたいなものなので忘れずに行っています。なかなか根気が必要です。友達がいうにはやり続けるから次があるという事で今日も明日も明後日も続けていこうかな。
もうこんな時間だ。あわてて明日の用意をするのも嫌なので今から用意して寝ます。
写真を趣味にして早4年
仕事が休みの日は必ず家を出て写真を撮りに行きます。雨の日も風の日も雪の日も。
これは4年間ずっと続けていることで、今日は忙しいとか今月は仕事が山積みだとか体調が悪いとか、遠出が難しいときでも2~3時間近所を散歩し、なにかしらをカメラに収めることを習慣としています。遠出すれば普段では味わえないこと、いつもと違う景色、初めて逢う人、美味しいもの、様々な被写体があるわけですが、自宅近くの公園でも十分にそれらは発見できます。常に表情が違うから。空だって毎日同じではありません。デジカメプリント花だって毎日同じように咲いているわけではありません。人も毎日同じ気持ちではありません。もちろん私自身も、先週の同じ時間とはまったく違います。少しくさいかもしれませんが、瞬間瞬間、人や景色は違うんだと、カメラを趣味にしてから思いました。
だから昨日と同じ場所へ行っても、見るもの感じるもの聞こえるものカメラに写るものは違うので十分に楽しめます。
じゃあなぜ遠出をするの?それはもちろん、よりいつもと違うものを求めるのと、温泉や美味しい食べ物ですよ。それはやっぱり味わいたいです。
遠出するときはほとんど妻と一緒にいきます。出費も多くなりますが、ふたりの趣味ということで我が家で唯一ケチらないところとしています。
妻はカメラはまったくわかりませんが、食べ物や温泉は誰でも好きなものですし、間違いありません。
家族サービスといいますが、我が家の場合は私自身の趣味と同時にできるので家族サービスが少ないという文句は少ないはず・・・。
日本の仏教を学ぶ
米国の蓮如上人研究の第一人者、ロジャース教授(ワシントン&リー大学)は「親鸞会は蓮如上人の遺産だと思います」と評しているのだそう。
浄土真宗中興の祖といわれ、蓮如上人が法主になられるや、本堂が四間四方(約30畳)だった本願寺が日本最大の仏教の宗派(後に二千万門徒、二万ヶ寺といわれるほど)となったんだそう。
蓮如上人はひたすら親鸞聖人の教えを伝えられ、この精神に忠実なのが親鸞会。
いろいろな噂話もあるようですが、多くの人が指摘しているように、親鸞会に反社会性はなく、カルトとも言えない。そして至って真面目で酒もタバコもしない方たちのようです。
真面目な方が多い分、今の時代では特に珍しいストイックさが目立ってしまうと誤解されやすいようで。メディアもそれを取り上げることもしばしばあるようです。
やはりメディアからの見方、親鸞会会員からの見方、一般人からの客観的な見方はそれぞれであり、親鸞会なんとも表現しにくいこともあるはず。
私はあまりこういった類のものには詳しくないですが、「死んだらどうなるのか」と考えたことはあります。時折頭をかすめるような、小さい頃から誰もが必ず思うようなことだと思いますが、何が残るとか、何も残らないとか漠然とした疑問はありますよね。
その疑問はもしかしたら教えを聞いてみたら、解決とまではいかなくとも、なにか不安が消えるような気持ちになるのではないかと思います。
そう考えると、何かの教えを信じることや伝えることは少なからず必要なことなのかもしれません。不安が消えるような何かが必要な人にとっては。
一度きりの人生、色々な方の教えや知識や考えを聞いてみるのもいいかもしれません。
これは間違っているかも、これは私には合わないかも、と思うこともあるかもしれませんが、ひとそれぞれです。100人いれば、100通りの考え方、捉え方があるはずです。
考えること信じることは自由です。ただ多くを吸収した者勝ち?とも思います。